山東省泰安市にある山。高さは1545メートル。封禅の儀式が行われる山としても名高いです。 道教の聖地である5つの山(五岳)のひとつです。五岳独尊とも言われ、五岳で最も尊いとされています。 秦の始皇帝、漢の武帝、唐の太宗、宋の太祖から明清時代まで約2000宗教の中心、神聖な山として歴代の皇帝たちに崇拝されてきました。 頂上にある"南天門”は世界的にも有名です。
河北省の山海関から甘粛省までに至り、総延長は2400キロにも及びます。その大きさから、「月から見える唯一の人口建造物」と言われていましたが、2004年12月8日に、宇宙空間から肉眼では観測できない、と中国科学院から否定されました。 長城が建設された目的は北方騎馬民族の侵入を防ぐためで、初期の長城は紀元前5世紀周時代に建造が始まったとされます。
1987、2004年登録 文化遺産 湖北省 河北省
甘粛省敦煌市の近郊にある仏教遺跡です。敦煌の周辺には莫高窟、西千仏洞、安西楡林窟、水峡口窟などの石窟があり、敦煌石窟、敦煌千仏洞と言った場合広義ではこの全てを含むことになりますが、歴史、規模、内容全てに渡って莫高窟が圧倒しているために、敦煌石窟、敦煌千仏洞と行った場合でも莫高窟のことをさすのが普通です。
1987年登録 文化遺産 陜西省
1987年登録 文化遺産 北京市
北京から、西南約50qに位置する周口店竜骨は山北京原人の発掘現場で、1921年から精力的に北京原人が発見されました。 1920年代からこの地で発掘を始めた考古学者が約60万年前の原人頭蓋骨を発見し、それに北京原人と名づけました。 発掘現場の南側からは、周口店の街並みが一望できます。
四川省アバ州にある自然保護区。観光敷地面積は約62平方q。現在見られる地区は約50平方qあります。季節の海と6ヶ所の観光地区があり、3溝、4滝、18群と見所も豊富です。 原始の生態環境のまま清新な空気と自然をそのまま残した場所であり、四季の移り変わりもすばらしく、精巧で美しい桃源郷です。
1992年登録 自然遺産 四川省
湖南省張家界市にある、張家界森林公園、索渓谷自然保護区、天子山自然保護区などの地域からなる自然保護区の総称です。 面積は約264平方q。風景区内には数億年の地殻変動により出来上がった奇峰群があり、盆景の拡大版や、仙境の縮小版ともいわれています。
河北省承徳市にある古代離宮です。総面積は約5460平方q、城壁は10qあります。 ここはかつて皇帝が参拝の途中立ち寄る仮の御所の1つでしたが、この地方の気候のよさと立地のよさにより、1703年から幾度となく改築され1790年に87年の歳月をかけ、現在の形として完成されました。 外八廟は避暑山荘を取り囲んでいる寺社の総称です。これらは、蘇州の獅子林や、杭州の六和塔、鎮江の金山亭などを模して造ったとされています。また、園内には"四庸全書”が収蔵されています。
山東省曲阜市にある孔子ゆかりの建造物、孔廟、孔府、孔林3つを3孔と呼びます。 敷地面積約896平方qあり、省都の済南から約130kmのところに位置しています。ここは周・春秋時代の魯の国の故地であった所です。 孔子を始祖とする儒教は漢以降歴代王朝の統治思想とされたため、孔廟、孔府、孔林は各王朝が手厚く保護しました。また、城内外には孔子の弟子顔回の遺跡など無数の遺跡や文物が散在しています。
1994年登録 文化遺産 湖北省
西蔵自治区、ラサにあるポタラ宮とその周辺の建造物のことをさす。海抜約3700mに位置し、敷地面積は約41万u、建築面積は13万u、13階建の壮厳で巨大なチベット宮殿です。 内部は白壁の白宮と、紅壁の紅宮があり、白宮は生活や政治活動の場として、紅宮は宗教活動の場として使われています。 ポタラの名は観音菩薩の住むとされる補陀落のサンスクリット語名「ポタラカ」に由来します。
江西省九江市にある名山です。別名匡山、匡廬ともいわれます。 廬山の山の大部分は海抜1000m以上あり、北は長江から長さ約25km、幅約20q、主峰の漢陽峰は海抜1474mのところに位地します。山は雲に覆われており、泉や滝、不思議な形の石など分布し、見所も多く、国内有数の避暑地や保養地として知られています。 俗説による、匡という7人の仙人が住んでいた小屋が山になったという伝説から、この名がついたとされます。
1996年登録 複合遺産 四川省
雲南省麗江市の旧市街地。万年雪を抱いた玉龍雪山の麓にあるナシ族によって建設された街です。元代初期に造られた800年余の歴史ある街で、中国歴史文化都市の中で唯一城壁のない古都市です。俗説によると古代麗江の統治者の姓を"木”といい、この字に枠がつくと"困”の字になり、この"困”は縁起がよくないということで、城壁は造られなかったという伝説も聞かれます。 街は石畳の道が迷路のように続き、各家前には水路が流れ、今も数千年前の風情を保ったままの風景が見れます。
山西省平遥市の古い町で省都太原からは約100キロに位置します。 もとは無名の小さな街でしたが、中国遺産の中で戦火にあったり、改築されてもなお昔のままの最も完全な形で残っている古都です。ここは既に2000年以上の歴史ある街で、内部には五代時代に建てられた木造建築や、保存状態のよい古城などがあります。 この地のもうひとつの特徴は、城内に3797ヶ所民家があり、今も住民が生活をしています。 清代には実業家が多く住んだことから"小北京”とも呼ばれていました。
江蘇省の蘇州にある庭園の総称、中国4大名園のひとつです。蘇州の街は紀元前514年に呉国の王によって造られ、2500余年の歴史があります。建築物の歴史も深く規模の大きい古城区は、中国国内でも珍しく今でも元の位置に残っています。その庭園の美しさから"東洋のベニス”とも呼ばれています。蘇州にある拙政園、留園は中国4大庭園の内の2つで、特に拙政園は江南庭園の中でも規模が大き落ち着いた配色の中国式建築や回廊などがみられ、蓮の花が咲く池とのバランスも美しい景観を創り出しています。
北京の北西部約12qに位置する庭園公園です。中国で現存する最も完全で規模の大きい皇帝専用庭園です。主に万寿山と昆明湖により構成され、総面積は約290ha、そのうち水域の占めている面積は約3/4にもなります。明清の時代皇帝花園件仮の御所として使われていましたが、1860年に一度焼き払われ1866年に再建されました。この期に頤和園と名前を変えました。又、1900年に8ヶ国連合軍により深刻な破壊を受けましたが、1902年に再度修復され今の形になりました。庭園はその優美な田園風景により"壮観神州第一”といわれ、世界的にも有名な観光地です。
北京市崇文区にある史跡で、明、清の皇帝が天に対して祭祀を行った宗教的な場所です。 敷地面積は約273平方メートル、故宮より更に4倍大きい273haあります。 建物の配置は"回”字型で、内側の内壇と外側の外壇に分けられます。内壇は約3292m、外壇は6416m。最南端は方形で大地を、最北端は半円で天を表しています。又、北を高く南を低くし天地を表しているとも言われています。
福建省にある大王山を中心とする山系の総称です。名勝として有名で、桂林と並び中国人が人生一度は訪れたいとされる場所のひとつと言われています。 敷地面積はおよそ60uあり、黄山の珍しさ、泰山の雄大、桂林の秀美、西湖の優美を兼ね備えた歴史文化のある名山です。武夷山の九曲渓川下りは観光客にも有名で、10qを2時間かけてゆっくり自然を満喫しながら下ります。 気候もよく全国的に有名なお茶の産地で、ここで栽培される"大江炮”はかつて皇帝に献上されていた高級茶です。
重慶にある仏教石窟です。649年から開かれ、唐末期〜五代・宋の時代へ次々と石刻が造られました。 この石窟は非常に特殊で大小合わせて100ヶ所近くの石刻像群があり、最も繁栄した時期には100基余りの寺院が同時に存在していたとされています。 四川大足地区の高く険しい崖の上で9世紀〜13世紀にかけて造られ、保存された石刻仏の品質は高く題材も豊富で世俗の宗教や、当時の日常生活を反映しています。 彫象は5万体余りあり、その中でも最も有名で規模が大きいのが"宝頂山”、"北山”の2ヶ所です。この2つの山は重要文化保護財に指定され、唐朝末期以降の芸術発展に多くの影響を与えました。
河南省洛陽市に南方13キロ、伊河の両岸にある洞窟寺院。敦煌の莫高窟や大同の雲岡石窟に並ぶ中国3大石窟の1つです。 龍門渓谷そのものの、2つの崖の絶壁間にあり、北魏の時代から400数年の建設歳月をかけて造られた1500年以上の歴史ある石刻です。 龍門石窟は南北約1000m、現存する石窟は1300余、洞穴は2345個、石碑に彫られた文字3600余りの品物、仏塔約50、仏像7000数体と中国3大石刻芸術宝庫の1つです。
山西省大同市の西方20キロにある,、東西1キロにわたる約40窟の洞窟寺院です。北魏の時代に作られ始め、敦煌の莫高窟、洛陽の龍門石窟、と共に中国3大石窟と呼ばれています。 紀元前460年に造られ1500年余りの歴史ある名所です。 石窟は約1000続き、大小合わせて53個あります。又、51000数体の仏像が彫られ雲岡独特の芸術風景を見ることができます。
チベット高原に源を有する3つの川、金沙江(長江上流部)、瀾滄江(メコン川上流部)、怒江(サルウィン川上流部)が、雲南省北部のデチェン蔵族自治州及び怒江リス族自治州を平行に流れている1,698,400ヘクタールにも及ぶ地域で、14の保護された地域から成っています。動植物層が豊かなことで知られています。
吉林省集安市を中心に分布する高句麗前期の遺跡です。高句麗は紀元前37年に五女山城(卒本城)を都として建国し、西暦3年丸都山城に遷都、その後平城の国内城に移り、427年北朝鮮の平壌に再び遷都しました。しかし、668年に唐・新羅連合軍によって滅ぼされています。
2005年登録 文化遺産 マカオ